母の命日
1週間前の10月20日は母の命日だった。私のような団塊世代の人間は、長寿社会とはいっても、すでに両親や片親が他界されている方が、かなりおられるのではと思う。
母が他界したのは、私が生まれ故郷の九州を離れ東京に住み着いて3年半後、約35年前のことであった。ようやく東京の生活に慣れ、苦労をかけた母に、正月休みに東京見物をプレゼントしようと考えていた矢先、突然、姉より母危篤の電話が来た。慌てて寝台列車に乗り込んだが、翌朝、実家に着いた時には、母の顔には白い布が被せられていた。
その時は、あたり構わずに母の遺体にすがり付いて涙が枯れるまで大泣きした。4人兄弟の末っ子で、私だけ遠く離れて東京に住んでいる私の事が心配だったのか、意識が朦朧としている中で私の名前を呼んだらしい。母を亡くして強くならなければと自分に言い聞かせたものである。
しかし、家庭を持ち、子供が出来ると、母の事を考えることがあまりなくなり、母の誕生日はたまに思い出す事はあっても、命日のことはほとんど思い出すこともなく1年、1年が過ぎていった。原因の一つは家に仏壇がないことであるが、私は、親不孝者だと思う。
ところが、今年は母の命日をしっかり覚えており、母の遺品を置いている場所に好物だった、梨とぶどうをお供えし手を合わせた。そうすると肩の力が抜けて段々と爽快な気持ちになってきた。これで、少しは、母も私の事を許してくれたのだろうか。
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